2020年7月27日月曜日

恬淡虚無

 

東洋医学(中国古代医学)の教えで何が大切かと言われると、当院は『恬淡虚無』という言葉を真っ先にあげたい。意味は「物事にこだわらず、心にわだかまりを持たないことである。」この言葉は世界で最も古いまとまった医学文献である『素問』という文献の『上古天真論』というところに載っている。『素問』は中国古代医学の根幹をなす文献であり、バイブルに相当する文献である。もちろん日本の漢方、鍼灸もこの『素問』を元にして成り立っている。『素問』の『上古天真論』には病気にかからず、健康を保つための要素が書かれている。

(書き下し文)

夫れ上古の聖人の下を教ふるや、皆之を謂うに虚邪(きょじゃ)賊風、之を避くるに時有り。 恬淡虚無なれば、真気之に従い、精神内に守り、病いづくんぞ従い来たらん。 是れを以て志閑なれば欲少なく、心安んじて懼(おそれ)ず、形を労して倦(う)まず、気に従ふを以て順となし、各おのおの其の欲するに従ひて、皆な願う所を得る。 

故に其の食は美にして、其の服を任じ、其の俗に楽しみ、高下相慕はず、其の民故に朴(ぼく)と曰ふ。 是れを以て嗜欲も其の目を労する能はず、淫邪も其の心を惑はすこと能はず。愚智賢不肖(ぐちけんふしょう)も物に於いて懼さず、故に道に於いて合し、所以ゆえに能く年皆な百歳を度して、而して動作衰えざる者にて、以て其の徳を全くして危(あやう)からざるなり。

(現代語訳)

太古の聖人が下々を教化するに、虚邪の人を害するを避けるには時機というものがあるという。 恬淡虚無であれば、真気が順調に流れ、精神は内守り、どうして病が入り込む余地があろうか(入るこむ余地はない)。 心がゆったりとしていれば、欲は少なく、心は安らかで、何事にも心配することなく、体を使いすぎるたり、怠け過ぎたりすることもないので、気のめぐりのままに従い、それぞれの欲するところに従って、皆がその願う所を得ることができる。 

だから、食べものをおいしくでいただき、衣服もあるものでよしとし、世の中を楽しんで、身分や高下を羨ましがらず、人々は朴訥であると言われる。 嗜欲が人々の目をまどわせ、労することはなく、淫邪が人々の心を惑わすこともない。誰もが何かに捉われるということなく、道に従うので、百歳になっても動作が衰えない。徳を全うし、危うきことはないのである。

以上のように中国古代医学は老荘思想を取り入れている。小賢しくいるよりも、朴訥で、無欲であることのほうが心が穏やかになり、病気にもかからず、万事うまく物事が運ぶのである。でも著者を含め人間はどうしても小賢しく、小さなことにこだわってしまう。これでは自ら寿命を縮めているのである。

自らへの戒めも加え、恬淡虚無をいつも心に留めておきたい。




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